幸せを、あなたにさずけます❣️

例え小さな光であれ、心に光が有れば、闇は消える。

16. だれもが仏の生命を持っている❣️【万人の成仏】全人類の成仏を願い仏。 【教学】

【五重の相対】
③権実相対
【万人の成仏】

だれもが仏界の生命を
涌現できる

ここまで、幸福になるための仏法であることを教わりました。「人のため」に行動する信仰の実践は、エゴに覆われた社会を変える大切な活動だと思います

社会に価値を広げて行くための仏法です。

そして、自分も他人も、幸福になる事を目指す大乗仏教の精髄が、法華経です。

ところで、経典といえば、実にいろいろあります。どうして、そのなかで法華経が最高峰の教えとなるのでしょうか。

確かに仏教には、色々な経典が有ります。

大乗仏教の主だったものでも、華厳経般若経阿弥陀経大日経などがあります。

しかし、結論を先に言えば、すべての人が成仏できることを説き明かした経典は法華経だけです。

前に、真実の仏教の教えは、小乗教でなく大乗教であると教わりました。そうした大乗仏教の諸経典でも、まだ不十分なのです。


法華経以外のそうした大乗経典は、真実の教えを説き明かしていません。

まず、地獄界から菩薩界までの九界は、どこまでも迷いの境涯であり、その生命から離れないと仏になれないと説いています

しかも、仏になれるとしても、階段を上がるようにして、何度も生まれて変わって修行を重ねた末に、やっと仏に成れると教えたのです。

どうして、そうした教えがあるのでしょうか。

当時のインドの人々の考え方に合わせた、方便(仮の手段)として説かれたものと考えられます。

いわば、真実を説き明かすための準備段階なのです。

例えば、仏についても、一度、釈尊から離れて、阿弥陀仏大日如来など、人間を超越し、現実世界から遊離した架空の仏を説いています。

仏の生命の一端は、明かしているわけです。しかし、方便としては意味があるのでしょうが、私たち人間から離れては、真実の仏教の教えにはなりません。

そうした大乗経典は、二乗(声聞・縁覚)の成仏を否定します。前に学んだように、二乗は、自分自身が悟りを開くことだけに執着し、民衆を救おうとしない傾向があるからです。

しかし、二乗が成仏できないとなると、全民衆を救う教えではなくなります。

それだけではありません。
そうした大乗諸経は、悪人・女性の成仏も否定します。

これに対し、万人の生命の中に「仏の生命」(=仏界)があると説いたのが法華経です。

法華経ではどんな人にも仏界が具わり、九界の生命境涯から仏界を顕していけると教えています。

したがって、九界の生命を断ち切る必要はありません。

二乗も、悪人も、そして女性も、男性も、万人が平等に成仏できると、説いているのが法華経なのです。

九界という現実の中で、仏界の力強い生命を涌現しながら、自他ともの向上のために行動していく。

これまでも学んできたこの原理は、法華経にしか説かれていないことが分かります。

法華経だけが、一切衆生が平等に成仏できることを教えています。

その根拠が一念三千の法門ですが、また別の機会に改めて学びましょう。

いずれにせよ、法華経だけが真実の大乗教となります。

その意味で法華経を「実教」と呼び、それ以外の大乗諸経を「仮の教え」という意味で、「権教」といいます。

「権」とは「仮」の意味です。
また、権教である大乗教を権大乗教ともいいます。

この権教と実教を比較して、実教で有る法華経が優れている事を示したのが、五重の相対の第三の「権実相対」です。

「万人の平等」「万人の成仏」を説いたのが法華経なのです。

「ひとり」を大切にする日蓮仏法の精神も、この法華経が基盤なのです。

その大乗仏教の精髄の精神を実践しているのが、ブログを見ているあなたなのです。

心にとまれば、それは信心です
【五重の相対】
③権実相対
【万人の成仏】

だれもが仏界の生命を
涌現できる

15. 自分も友も幸せに❣️ 【自他共の幸福】「仏」とは、一体なんなのか?【教学】


【五重の相対】
②大小相対
【自他共の幸福】

自分も友も幸せを
目指す為の仏法

これまで、私たちに「仏の生命」があり、御本尊への唱題で、その生命を引き出して行けると教わってきました。

しかし、改めて考えてみると、「仏」とは一体、何なのでしょう。

人間からかけ離れた存在なんでしょうか?

いいえ。前にも確認したとおり、仏は私たちと同じ人間です。

仏とは、宇宙と生命を貫く根源の真理を体得した人間です。

すなわち、究極の真理を悟って実践する人のことです。
そして仏教の創始者が、釈尊です。

ところが、釈尊が死んでからの仏教は、仏を尊ぶあまり、釈尊を人間からかけ離れた存在にしてしまいました。

そして、仏と成って人々を救うことを、出家者たちはあきらめてしまいます。

修行の道場にこもり、民衆から遠ざかっていきます。

仏の声を聞いて悟りの境涯を開こうとする「声聞」、独力で悟ってく「縁覚」を目指して、出家者たちは、複雑で繁多な戒律を定めて行ったのです。

それでは、現実の社会で生活する人々は、どうなったのでしょう。

そこが問題です。
出家者たちは、自分が悟るために修行に専念し、在家の人々は、出家者を支える存在であると強調され、仏教が僧院の中に閉じこもる傾向が強くなってしまったのです。

それは「万人の救済」という釈尊の精神とは正反対なのです。

そうした中から、「釈尊に帰れ」とする、仏教ルネサンスの運動が興ります。

これが、大乗仏教です。
万人を平等に成仏させる仏の教えを、民衆の手に取り戻そうとしたのです。

真の大乗の実践者たちは、果敢に、民衆のなかに飛び込んでいきます。

自らが仏の境涯を開こうと修行し、人々をも成仏させる「菩薩」の生き方を、目指しました。

大乗の「乗」とは、「のる」「乗せる」という意味で、仏の教えが人々を幸福に導く事を「乗り物」に譬えたものです。

これに対して従来の声聞・縁覚の教えを、大乗仏教の側から「小乗」と呼びました。

この大乗教と小乗教を比較して、大乗教が優れている事を示したのが「大小相対」です。
「五重の相対」の二番目の基準です。

乗り物の譬えは分かりやすいですね。

日蓮大聖人は「船」にも譬えられ、「小乗経と申す経は世間の小船のごとく・わづかに人の二人・三人等は乗すけれども百千人は乗せず・・・大乗と申すは大船なり」と仰せです。

日蓮仏法こそ、究極の大乗であり、全人類を乗せる「大船」です。

大乗と小乗では、修行の意味合いも全く違うのでしょうか。

苦しみや迷いの原因は、「煩悩」(貪り・怒り・愚かの生命)という心の働きです。

そして、その煩悩を克服することに仏教の特徴があります。

小乗教は、煩悩を断じ尽くしていくことで、悟りを得ようとする教義です。

しかし、人間から煩悩のすべてをなくすことは難しいと思います。

人間の生命そのものを消滅させなければならなくなる。

それに対し、大乗教は、小乗教のように煩悩を排除するのではなく、正しくコントロールすることを説きました。

清浄で力強い生命主体(仏界)を確立することで、煩悩を「菩提」という悟りの智慧へと転換することを目指します。

これを「煩悩即菩提」といいます。

私たちの実践で言えば、煩悩に真っ向から取り組み、妙法への信心によって、煩悩を自身の成長の因に変え、偉大な智慧を身に現して行く事です。

小乗教は、確かに、煩悩が人間の苦悩の原因である事に注文した点では、自身の変革への第一歩でした。

しかし、欲望を消滅させる修行に専念し、そのため現実世界から逃避する結果になった事は大きな誤りです。

小乗教は「自分だけの幸福」を追い求めて行く傾向が強くなるという事です。

今の社会全体も、「自分さえ良ければ」という風潮が広がり、人々への思いやりや真心が、失われていく一方です。

現実社会に積極的に関わり、悩み苦しむ人々を幸せに導く事が、本来の仏教の精神です。

そして、自分も他人も、共に幸福になろうとする真の大乗菩薩の実践を貫いてこその人生。

「万人の幸福を目指す」
その生き方を広げていくことが、「自分さえ良ければ」というエゴ、利己主義の風潮を打ち破り、社会の希望の行動となるの
です。

【五重の相対】

②大小相対
【自他共の幸福】

自分も友も幸せを
目指す為の仏法

14. 自身の可能性を信じる事から❣️【生命の因果 】「宗教を考える基準」【教学】


【五重の相対】
①内外相対
【生命の因果 】
無限の可能性を自身の中から引き出す。
ここからは、
「宗教を考える基準」の第二として「五重の相対」を学んで行きます。

大事な事は、物事には何でも「原因」と「結果」が有ると言う事です。

良い結果を求めるなら、自分自身の今の「生命」を変える「原因」が必要だと言う事です。

日蓮大聖人は、心地観経(大乗仏教経典の一経)の「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」を引用されています。

過去にどんな原因をつくったかは、現在の結果の姿を見れば明らかである、という趣旨です。

仏法には、幸福になる原因・結果があるということです。

原因・結果という「生命の因果」を考えるのが仏法です。

因果関係など無い、結果というのは偶然の産物だとか、過去に積んだ原因によって、未来はもう決まっているといった考え方は、偏った見方、部分的な見方でしかありません。

それよりも、より良い人生を生きていける、自分は変われるというほうが、価値的です。

そして、自分が変われるだけでなく、さらに周囲の環境をも変えて行く事が出来ます。
「自分が変われば世界が変わる」。

妙法の実践によって、そういう生き方を体得していけるのが、仏法の素晴らしさなのです。

つまり、幸・不幸の原因を自身の内部に求め、過去の原因を見つめて、そして未来へ、幸福の因を築いていくのが、仏法なのです。

正に、日蓮仏法は変革の因果を説いているのです。

幸・不幸の原因を、自身の内部に求め、自身の内側から変革を起こしていくか、あるいは自身の生命の外に求めていくかで、その宗教の性質は根本的に違ってきます。

仏法は、生命の因果を正しく自身の内に求める「内道」の教えです。

それ以外の教えが「外道」です

そして、この内道と外道を比較して、内道である仏法を選びとる事を「内外相対」と言います

大聖人は、仏教以外のインドのバラモン諸経や中国の諸思想について、「因果を知らないことは赤ん坊のようなものである」と仰せです。

確かに、人間の内面に変革の可能性があると説く教えでなければ、価値はありません。

しかも、内道は、過去世・現在世・未来世の三世にわたる生命の因果を説き明かし、永遠に崩れない幸福の道を見いだしたものです。

このように、幸福に直結する変革の可能性を追求し、宗教を考えていく基準が「五重の相対」です。

「五重の相対」とは、一切の思想、宗教、なかでも、仏教を比較し、その浅深・高低・優劣を判定していくものです。

「五重」とは、五段階ということです。

「五重の相対」には、この「内外相対」をはじめとして、大小相対、権実相対(ごんじつそうたい)、本迹相対(ほんじゃくそうたい)、種脱相対(しゅだつそうたい)があります。

詳しくは、順次、見ていきます

この「五重の相対」を基準として、三世にわたる生命の因果の法則に則ってこそ、真に主体的な自己を確立し、絶対的な幸福境涯を開く事が出来るのです。

【五重の相対】
①内外相対
【生命の因果 】
無限の可能性を自身の中から引き出す。

13. 人間を強く、賢くする信心❣️「客観的」「現実的」に宗教を選択【教学】

  【宗教を考える基準】
宗教は、人間の幸・不幸を左右します。

正しい宗教を選び取るためには、さまざまな宗教を比較し、考える「基準」が必要となります。

ここでは、「三証」「五重の相対」を取り上げ、大聖人の仏法こそ、人類の求めている真の力ある宗教であることを学びます。


 【三証】文証・理証・現証
「客観的」「現実的」に
宗教を選択
ここでは、宗教を考える基準の第一として「三証」を学びます

日本には、本当にいろいろな宗教があります。私の知人も、「あまりにも多くの神様、仏様がいて、何を基準に考えたらよいか、分からない」と言ってます

この知人に仏法を語る時に、何か、宗教の優劣を判定する客観的な物差しはないかと考えます

実際には、さまざまな宗教があります。私たちの立場で言えば、例えば「自他とも幸福を目指していく宗教」「人間の境涯を高めていく宗教」「社会の変革と繁栄、世界の平和を追求する宗教」が大切だと言えると思います。さて、ここでは、宗教の優劣を判断する物差しとなる「三証」について学びましよう。三証とは「文証」「理証」「現証」の三つをいいます。

「証」とは、あかし、証拠の事です。

まず「文証」とは、文献のことです。

「文証」とは、その宗教の教義や主張の内容に、依って立つ文献の裏付けがあるかどうか、ということです。

日蓮大聖人の時代で言えば、経典に基づいた教えなのかどうか、ということです。

仏教であるなら、釈尊の教えに依って立つものでなければなりません。

大聖人は「経文に明(あきらか)ならんを用(もち)いよ文証無からんをば捨てよとなり」と仰せです。
通解
経文上に明確な根拠のある教義を用いるべきであり、経典によらない教えを用いてはならない

次に「理証」ですが、これは教義や主張が道理にかなっているかどうかという基準です。

大聖人は「仏法と申すは道理なり」と仰せです。

仏法に限らず、全ての宗教が、道理を通さないといけないはずです。

日本には、私たちから見ても荒唐無稽な教えが多いです。
(荒唐無稽=こうとうむけい 根拠がなく、現実性が無い事)

仏法は最高の道理です。

道理に外れた主張は用いるべきではありません。

そして、宗教を実践して現実に結果が出るかどうかを見る基準、それが最後の「現証」です。

御書には「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」とあります。
通解
 日蓮が仏法の優劣を判断するのに、道理と証文とに過ぎるものはない。さらに道理・証文よりも現証に勝まさるものはない

ここで、「道理」が理証、「証文」が文証になります。

この御文から分かる通り、大聖人が最も重視されたのが、現証です。

いかなる宗教にせよ、教え通りの結果が出て、自分の前に立ちはだかる現実を変えられなければ、意味がありません。

現証とは、現実に生活や社会に結果が出るかどうかです。

単なる気休めだったり、現実社会から逃避を教える宗教では、人間を強く、賢くする方向と逆行するのではないでしょうか。

一人ひとりが偉大な可能性を発揮していけると説く日蓮仏法は、仏法を実践することで、勝利と向上の結果を勝ちとっていける宗教なのです。

この三証の一つがかけても、正しい宗教とは言えないのです。

薬で言えば、肝心なのは、それが今の自分のかかっている病気に効くかどうかです(現証)。適切な薬でなければ、むしろ「毒」になってしまいます。

そして、この場合、薬には成分表、効能書きがあり(文証)、また、どうして効いたのか、
その確かな理由があります(理証)。

三証は、宗教を科学的な眼で判定しているのです。

曇り無い眼、冷静な眼で、宗教は見ていかなくてはなりません

御本尊に唱題し、友人に仏法を語っていく。その実践があれば、現実の生活に、宗教の力が厳然と現れてくる。そこに、日蓮仏法の素晴らしさはあるのです

 【三証】文証・理証・現証
「客観的」「現実的」に宗教を選択
ここでは、宗教を考える基準の第一として「三証」を学びます。

12. 「民衆救済」その生涯は仏様です❣️日蓮大聖人の御生涯・略年譜【教学】


日蓮大聖人の御生涯・略年譜

*貞応元年(1222年)2月16日
安房国(千葉県)で御誕生

*建長五年(1253年)4月28日
清澄寺で立宗宣言

*文応元年(1260年)7月16日
北条時頼に「立宗安国論」を提出し       幕府を諫暁(かんぎょう)

*文応元年(1260年)8月27日
念仏者たちに松葉ヶ谷の草庵を襲わ
 れる    (松葉ヶ谷の法難)

*弘長元年(1261年)5月12日
伊豆の伊東に流罪される
        (伊豆流罪

*文永元年(1264年)11月11日
安房国東条郷で地頭・東条景信に
 襲撃される(小松原の法難)

*文永五年(1268年)
 蒙古の国書到着を受けて10月、
「十一通御書」を権力者ら各所に送り
り、公場での法論対決を迫る

*文永八年(1271年)9月12日
 平左衛門尉により逮捕、深夜に竜の
 口の刑場で処刑寸前に(竜の口の法
 難)この時、発迹顕本される

*文永八年(1271年)10月10日
 佐渡流罪される(佐渡流罪

*文永九年(1272年)1月16日.17日
 塚原の三昧堂において諸宗の僧と問
 答し、論破(塚原問答)

*文永九年(1272年)2月、
 鎌倉と京都で内乱(二月騒動)

*文永九年(1272年)2月、
 人本尊開顕の書「開目抄」を著され る

*文永十年(1273年)4月、
 法本尊開顕の書「観心本尊抄」を著される

*文永十一年(1274年)2月、
 幕府、佐渡流罪の赦免を決定

*文永十一年(1274年)4月8日、
 平左衛門尉と対面し、強く諌められる
 。年内よ蒙古(元軍)の襲来を予言

*文永十一年(1274年)5月、
           身延入山

*文永十一年(1274年)10月、
 蒙古(元)の大軍が九州を襲う
文永の役

*弘安二年(1279年)
 神四郎ら農民信徒が不惜身命の信心 を示した熱原
 の法難に時を感じられ、10月12日
 に、一閻浮提総与の大御本尊を御図
 顕、出世の本懐を遂げられる

*弘安四年(1281年)5月〜7月、
 第二回、蒙古(元軍)襲来
弘安の役

*弘安五年(1282年)
 日興上人に一切の法を付嘱され、
           10月13日、
 武蔵国(東京都)池上で御入滅



日蓮大聖人の御生涯・略年譜

11. 必ず幸せになれると仰せです❣️【熱原の法難】 万人の幸福の為の 大御本尊を御図顕【教学】


【 熱原の法難】
万人の幸福の為の

大御本尊を御図顕文永十一年(1274年)五月、日蓮大聖人は、甲斐国山梨県)の身延へ入られます。

そこで、「撰時抄」「報恩抄」などの著作を通して、仏法の人類史的な意義を説き示されるなど、民衆救済、妙法流布のための果敢な言論戦を展開されます。

そして、日興上人らに法華経を講義して日蓮仏法の真髄を教えられ、後継者の育成にも精力を傾けられました。

また、鎌倉、佐渡をはじめ各地の多くの門下に手紙を送り続けて、信心を生涯、貫き、人生の勝利者となるよう励ましていかれたのです。

例えば、そうした門下の一人に、妙一尼がいます。
夫は所領を没収されるなどの迫害に負けず、正法の信仰を貫きますが、大聖人の佐渡流罪中に亡くなります。

更に妙一尼には、病気の子供がいました。
心細く思うこともあったのではないでしょうか。

大聖人は「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」と述べられ、どんな困難な環境でも必ず信心の力で乗り越えて幸福になれると、全魂こめて励まされいるのです。

大聖人は、そうやって一人ひとりの門下との絆を強めていったのです。

権力と戦い続ける剛毅な大聖人のお姿とは違う側面です。

傲慢な権力者に対しては、あくまで強く、真心の庶民に対してはあくまで優しく。しかも、そのどちらも『慈悲』の表れである。

ここに日蓮大聖人の崇高な人間主義が有ります。

こうした大聖人の激励を受けて、各地で弟子が活躍します。

駿河国静岡県)の富士方面で日興上人が中心となり、折伏・弘教が進められ、天台宗などの僧・信徒が相次いで改宗するようになりました。

しかし、そのために、熱原郷の竜泉寺では住職代理の行智が策謀して、大聖人の仏法を実践する農民信徒を脅迫する事件が起こりました。

権力は新しい民衆の台頭を恐れ、大弾圧を画策したのです。

弘安二年1279年9月21日のことです。
熱原の農民信徒二十人が、無実の罪で逮捕され、わざわざ幕府の要人である平左衛門尉が、自ら鎌倉で厳しい取り調べを行い、法華経の信心を捨てるよう脅すのです。

しかし、農民達は信心を貫き通し、決して屈しませんでした。

そのため、十月十五日(一説には翌年4月8日)、神四郎、弥五郎、弥六郎の兄弟は処刑され、残りの十七人は追放処分に遭ったのです(熱原の法難)。

農民信徒が、権力者の弾圧に負けずに信念を貫いたことは、十三世紀の日本にあって、偉大な人権闘争だと言えます。

「人間の尊厳」を勝ち取り、社会に人間主義の哲学を広めることが広宣流布です。

大聖人は、広宣流布のため、民衆の強き信心に呼応して弘安二年十月十二日、「一閻浮提総与の大御本尊」を御図顕されます

「一閻浮提総与」とは、「全世界の人々に授与する」という意味です。

末法万年の全民衆を救う広宣流布のための御本尊です。

堕落した一部の坊主が独占するためのものでは断じてありません。

そして、「仏がこの世に出現した根本の目的」(出世の本懐)を成し遂げられた大聖人は、弘安五年(1282年)法門のすべてと大御本尊を日興上人に付嘱(=伝授)します。

大聖人は、広宣流布の使命と責任を、一切、弟子に託され、同年十月十三日、武蔵国(東京都)の池上邸で、六十一歳の尊い御生涯を終えられました。


【 熱原の法難】
万人の幸福の為の
大御本尊を御図顕

10. 全人類のために、命をかける❣️【佐渡流罪】 末法の全民衆を救う 御本仏と宣言【教学】

佐渡流罪
末法の全民衆を救う
御本仏と宣言


日蓮大聖人に処刑の危機が迫る」、とは具体的に何でしょう。


文永八年(1271年9月12日)の夕刻、平左衛門尉が武装した兵士を率いて、松葉ヶ谷の草庵を襲い、謀反人を扱うようにして、大聖人を捕らえました。

その時、大聖人は、平左衛門尉に向かって、日本の柱である大聖人を迫害するならば、内乱と他国からの侵略が起こると強く諫めたのです。

「正義の人」を弾圧する国は、人々の生命が濁り、災難が起こるからです。

大聖人は、夜半に鎌倉のはずれにある竜の口の刑場に連行されました。

しかし、刑が執行されようとした、まさにその時、突然、江ノ島の方から、まり、のような光り物が北西の方向へ夜空を走ったのです。(ハレー彗星では、無かったのかと。現代では討論されています)

兵士たちは恐れおののき、大聖人を斬首する事は出来ませんでした。(竜の口の法難)。

この時以来、大聖人は、末法の御本仏としての御立場に立たれていくのです「発迹顕本」(ほっしゃくけんぽん)

末法のあらゆる人々を救う仏の御境涯を明かされた、ということです。

大聖人を処刑できなかった幕府は、結局、佐渡流罪の処分に決定します。

当時、佐渡に流されるということは、生きて帰ることできない、つまり死罪に等しい意味をもっていたと聞きました。
佐渡の塚原に着かれた大聖人は、食べる物も不自由で、真冬に雪が吹き込んでくるような、荒れ果てた三昧堂に住んだのです。

そのうえ、佐渡の念仏者に絶えず命を狙われる状況にありました。

この時、幸いにも日興上人が大聖人の身の回りお世話をされ、ともに苦難と闘われます。

文永九年(1272年)一月には、佐渡だけではなく、北陸・信越等からも僧が大勢、集まり、大聖人に仏法の論争を挑んできました。

大聖人は各宗派の邪義をすべて明確に論破されました。(熱原問答)。

大聖人の流罪中は、鎌倉の門下にも迫害が及びます。

土牢に入れられたり、追放、所領没収などの処分を受けた門下が続出しました。

そうした弾圧のすさまじさを恐れて、大聖人の法門に疑いを起こし退転する門下が相次いだのです。

大聖人は、御自身の身の危ない状況にあるにもかかわらず、門下のことを案じ、末法万年の全人類を救うために行動されます

いかなる権力の弾圧も、大聖人の民衆救済の誓願の炎を消すことはできなかったのです。

日蓮大聖人は、末法の御本仏として、あらゆる人の成仏を可能にするために、御本尊を御図顕(ごずけん)されます。

そして、「開目抄」「観心本尊抄」という最重要の著作を記されます。


「開目抄」では、難が起ころうと、諸天善神の加護がなかろうと、妙法を弘めるために身命をなげうつという大聖人御自身の覚悟が述べられ、一層深い信心に立つよう門下に促されるとともに、大聖人が末法の御本仏であられることを宣言されます。

また、「観心本尊抄」では、南無妙法蓮華経の御本尊を「受持」する事で末法の人々が成仏できることを明らかにされたのです。

最悪の環境の中で、人類の幸福と平和の軌道を確立されたのです。

文永九年(1272年)二月、幕府では、「二月騒動」が勃発します。

鎌倉幕府の中心者・北条時宗の異母兄である北条時輔が謀反を計画したとして、時輔以下関係者が処刑される事件です。北条氏一族の同士討ちです。

大聖人が警告されていた「内乱」です。

幕府は、大聖人の存在を無視することができなくなり、執権・時宗は、大聖人の流罪を許す決定を下しました。
文永十一年(1274年)二月の事です。

鎌倉に戻られて、その年の四月八日、大聖人は再び平左衛門尉に対面され、年内に必ず蒙古が襲来する事を警告されました。

しかし、幕府の権力者は、大聖人の諫言を聞き入れず、悪法への帰依をやめようとしませんでした。

「立宗安国論」での諫め、そして平左衛門尉への二度の警告が用いられなかったために、大聖人は甲斐国山梨県)の身延山に入ります。

そして、その年の十月、蒙古の大軍が九州に押し寄せて来ました。「文永の役」と言って、有名な出来事です。

これで、大聖人の警告は二つとも的中した事になります。

社会の平和と民衆の幸福のために、迫り来る災難を警告された大聖人の仏法の正しさを、予言の的中は示しているのです。