11. 必ず幸せになれると仰せです❣️【熱原の法難】 万人の幸福の為の 大御本尊を御図顕【教学】
【 熱原の法難】
万人の幸福の為の
大御本尊を御図顕文永十一年(1274年)五月、日蓮大聖人は、甲斐国(山梨県)の身延へ入られます。
そこで、「撰時抄」「報恩抄」などの著作を通して、仏法の人類史的な意義を説き示されるなど、民衆救済、妙法流布のための果敢な言論戦を展開されます。
そして、日興上人らに法華経を講義して日蓮仏法の真髄を教えられ、後継者の育成にも精力を傾けられました。
また、鎌倉、佐渡をはじめ各地の多くの門下に手紙を送り続けて、信心を生涯、貫き、人生の勝利者となるよう励ましていかれたのです。
例えば、そうした門下の一人に、妙一尼がいます。
夫は所領を没収されるなどの迫害に負けず、正法の信仰を貫きますが、大聖人の佐渡流罪中に亡くなります。
更に妙一尼には、病気の子供がいました。
心細く思うこともあったのではないでしょうか。
大聖人は「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」と述べられ、どんな困難な環境でも必ず信心の力で乗り越えて幸福になれると、全魂こめて励まされいるのです。
大聖人は、そうやって一人ひとりの門下との絆を強めていったのです。
権力と戦い続ける剛毅な大聖人のお姿とは違う側面です。
傲慢な権力者に対しては、あくまで強く、真心の庶民に対してはあくまで優しく。しかも、そのどちらも『慈悲』の表れである。
ここに日蓮大聖人の崇高な人間主義が有ります。
こうした大聖人の激励を受けて、各地で弟子が活躍します。
駿河国(静岡県)の富士方面で日興上人が中心となり、折伏・弘教が進められ、天台宗などの僧・信徒が相次いで改宗するようになりました。
しかし、そのために、熱原郷の竜泉寺では住職代理の行智が策謀して、大聖人の仏法を実践する農民信徒を脅迫する事件が起こりました。
権力は新しい民衆の台頭を恐れ、大弾圧を画策したのです。
弘安二年1279年9月21日のことです。 熱原の農民信徒二十人が、無実の罪で逮捕され、わざわざ幕府の要人である平左衛門尉が、自ら鎌倉で厳しい取り調べを行い、法華経の信心を捨てるよう脅すのです。
しかし、農民達は信心を貫き通し、決して屈しませんでした。
そのため、十月十五日(一説には翌年4月8日)、神四郎、弥五郎、弥六郎の兄弟は処刑され、残りの十七人は追放処分に遭ったのです(熱原の法難)。
農民信徒が、権力者の弾圧に負けずに信念を貫いたことは、十三世紀の日本にあって、偉大な人権闘争だと言えます。
「人間の尊厳」を勝ち取り、社会に人間主義の哲学を広めることが広宣流布です。
大聖人は、広宣流布のため、民衆の強き信心に呼応して弘安二年十月十二日、「一閻浮提総与の大御本尊」を御図顕されます
「一閻浮提総与」とは、「全世界の人々に授与する」という意味です。
堕落した一部の坊主が独占するためのものでは断じてありません。
そして、「仏がこの世に出現した根本の目的」(出世の本懐)を成し遂げられた大聖人は、弘安五年(1282年)法門のすべてと大御本尊を日興上人に付嘱(=伝授)します。
大聖人は、広宣流布の使命と責任を、一切、弟子に託され、同年十月十三日、武蔵国(東京都)の池上邸で、六十一歳の尊い御生涯を終えられました。
【 熱原の法難】
万人の幸福の為の
大御本尊を御図顕