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例え小さな光であれ、心に光が有れば、闇は消える。

2. 今いる場所が、遊楽場❣️【衆生所遊楽】 「偉大な生命力で、 人生を楽しむ」【教学】


この生活から抜け出したい。
そんな人は、
是非読んでみてください😊
人生が、楽しくなって来ますよ‼️



衆生所遊楽】
「偉大な生命力で、人生を楽しむ」




仏の生命を開くことによって、自身の人生でどんな困難にも負けず、むしろそれを悠々と楽しみ、乗り越えていくことができるようになります。




本来、仏法では、私たちは人生を楽しむために生まれてきたと説いているのです。




もちろん、現実を直視すれば苦しみの連続です。
しかし、その打開の道を示さなければ、宗教といっても、結局、あきらめや逃避を説くだけに終わってしまいます。




人間は、苦しむために生まれてたのではない。




これが、仏法の人生観の根本です。
そのことを考えているのが、
衆生所遊楽」です。




私たちが住んでいるこの世界こそ、「衆生が遊び、楽しむ場所」であるという意味です。




衆生」とは、「生きとし生けるもの」、わかりやすく言えば、人々のことです。




経文には、仏の住む国土は安穏であり、つねに喜びの衆生で満ちている。とあり、例えば、植物が豊かに生い茂るような楽しい場所であると、説明されています。




そして、仏の住む国土と、私たちの現実世界は同じだと説くのです。
同じ世界が、私たちには苦しい場所と映りますが、仏には、人々が遊び楽しむ場所と映るのです。




例えば、同じケーキでも、おなかの空いている人は、のどから手が出るくらい食べたいはずです。
でも、満腹で、もうこれ以上食べられないという人には、食べたい気持ちは起こらないでしょう。
場合によっては、見るのも気持ち悪いと思うかもしれません。




単純に、気の持ちようだと思う人もいますが、そうでも無いのです。




現実に、自分自身を強くすることで、仏のように、思う事が出来るのです。




人生を山登りに例えてみてください。




人生は、生きている限り、悩み、苦労は絶えません。




同じように、山登りも、山頂に到達するまでには、ひたすら頂上を目指して、せっせと険しい道を登っていかなくてはなりません。
ですが、自分を鍛えて、肺活量を大きくし、脚力を強くできれば、山登りはより楽に、さらに登ること自体がより楽しくなっていくのではないでしょうか。




人生も同じです。
御書
「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」
通解
ありとあらゆる人々にとって、南無妙法蓮華経と唱えること以外の遊楽はありません。




お題目によって「仏の生命」を開き、厳しい現実に立ち向かっていく「生命力」を、自分自身のなかから引き出していくことができたら、苦悩の意味が一変します。




生命に秘められた力を発揮する挑戦のなかに、人生の勝利があるのです。




自分の生命力が強ければ、どこにいても、何があっても、生きていること自体が幸福で楽しい、という境涯を自分自身の中に厳然と確立していくことができるのです。




その生命力を引き出すことが
「仏界涌現」です。




衆生所遊楽】
「偉大な生命力で、人生を楽しむ」