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8. 「慈愛」を形に、出来る大聖人❣️【立宗宣言】 全人類を救済する 誓願の第一声 【教学】


日蓮大聖人の御生涯
それは、全人類を幸福にするため、すべての人々に仏の境涯を開かせたいとの誓願と慈悲に貫かれています。そして、民衆の幸福を阻む一切の魔性と闘い続けられた大難の御生涯でもありました。


【立宗宣言】

全人類を救済する  
誓願の第一声

大聖人の一生、
それは若き日の「誓願」を、いかなる大難があっても貫き通された生涯です。

あらゆる人々を救済するという誓願に立って、南無妙法蓮華経の正法を説き、弘めて行かれたのです。

ひとたび、正法流布に立ち上がれば、迫害が、次々と押し寄せてくることは、経文に照らして明らかでした。
しかし、それでも、正法の旗を高々と掲げ、立ち上がれた。

一人ひとりに尊極の仏界の生命を開かせ、平和な社会を築きたいという「大慈悲」の挑戦だったのです。

大聖人が生きていた時代は、仏教の新興勢力が乱立していた時代です。

念仏や禅が広く信仰されていた時代です。
念仏をはじめとする当時の諸宗の僧は、釈尊の教えを真剣に探究せず、民衆を蔑視(べつし)していました。

人間を不幸にする、そうした「魔性」とは徹して闘い、正しい信仰によって人間の偉大な可能性を開発していこうとされたのが日蓮大聖人なのです。

時代は鎌倉時代でした。
日本で初めて武家政権が誕生し、大動乱の時代がはじまるのです。

大聖人は、貞応元年1222年2月16日、安房国(今の千葉県)の東条郷の方海の漁村で誕生されます。
家族は漁業で生計を立てていました。
12歳で、その地にある清澄寺に入り、初等教育を受けられます。
そのころ、「日本第一の智者となし給へ」との願いを立てられます。父母らをはじめとする民衆を救うために、生死の根本的な苦しみを乗り越える仏法の智慧を体得しようとされたのです。

民衆の幸福のために宗教があるはずなのに、その力を発揮できない、いやむしろ、宗教のために人間が利用されている状況があったからです。

そして、本格的に仏法を究めていこうとされたのです。

16歳で、清澄寺の道善房を師匠として出家されます。

この頃、「明星のような智慧の大宝珠」を受け取られます。仏の悟りの法であり、一切の事象を明らかに見ていける「妙法の智慧」を得たということです。

その後、比叡山をはじめ鎌倉、京都、奈良等の寺々をめぐり、あらゆる経典を読まれ、各宗派の教義の本質を究明されるのです。

そして、自身が悟った妙法とは、法華経の肝要である南無妙法蓮華経であり、一切経の中の根幹の教えである法華経をないがしろにする諸宗は、
人々の成仏の道を閉ざしてしまうと、結論されるのです。

どこまでも、民衆の幸福を第一に考え抜かれた結果です。「人間のための宗教」それが、日蓮仏法の出発点だということです。

真の人間主義は、民衆を苦しめる魔性との闘争でもあります。

建長五年1253年4月28日清澄寺で、念仏などを破折するとともに、南無妙法蓮華経こそが末法の世界中の民衆を救う唯一の法であると宣言されます(立宗宣言)。
この時、自ら「日蓮」と名乗られます。
32歳の時でした。

御書には、その直前の思索が回想されています。

「経文には、法華経を説き弘める者に必ず迫害の有る事が説かれている。一方で、正法を弘めなければ、人々の成仏の道を閉ざし無慈悲になる。どちらの道を選ぶべきか。
正法を弘めゆく道を選ぶべきだ」と。

ですが、思索はそこでとどまりません。

「難が起きた時に退いてしまうくらいなら、思いとどまったほうがよい。しかし、末法法華経を弘めることは困難極まりないと、はっきり経文に説かれている。どんな困難をも引き受けて人々の為に立ち上がるのが「仏の心」である」
と考え、不退転の誓願に立って、民衆救済の第一歩を踏み出されるのです。

私たちの幸福のために、あえて難をすすんで受けていこう、と決意されたのです。

そして、さっそく難が起こりました。

東条郷の地頭・東条景信は念仏の強信者でした。

彼は、念仏を批判した大聖人に危害を加えようとします。

そこで大聖人は、清澄寺を離れ、鎌倉に出られる事になるのです。

【立宗宣言】
全人類を救済する  
誓願の第一声