5.生命を貫く「慈愛」❣️【四聖】 仏道修行に、 よって境涯を高める。【教学】
【四聖】
仏道修行に、
よって境涯を高める 。
前回は、仏法の十界について、六つまで学んできました。
前回、見てきたように、仏法では「十界」といって、十の生命を説き、私たちの瞬間瞬間の生命の状態を説明しています。
ここまででは、日常生活のなかに主に見られる生命の境涯が、地獄界から天界までの「六道」の境涯で、それは外の条件などの環境によって左右されることを学びました。
その六道の苦悩を乗り越えていくのが「四聖」です。
十界の残り四つです。
「四聖」とは、声聞・縁覚・菩薩・仏です。
声聞・縁覚・菩薩は、悟りを求める仏道修行の実践者であり、「仏」は真の悟りを得た人です。
この四聖は、「六道」の生命境涯を越えて真実の幸福を目指し、人間としてより確かな生き方を求めていこうとの息吹に満ちています。
この四聖の境涯がそれぞれ、声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界です。
声聞界とは、仏の教えを聞いて、悟りの一端を得た境涯をいいます。
また、次の縁覚界は、さまざまな事象を縁として、自らの力で悟りの一端をつかんだ境涯です。
この声聞界と縁覚界を合わせて二乗とも言います。
二乗の特徴は「万物は無常である」と見ることにあります。無常とは、この世の中で「変化」しないものは何ひとつないということです。人間は、皆、年をとっていく。形あるものはすべて、時とともに朽ち果てていきます。
私たちもたまに、そうしたことを感じることがありますね。
日蓮大聖人は「無常を日夜見ていることは、人界に二乗界のある証拠ではないか」と仰せです。
しかし、二乗には限界があります。
低い悟りに安住して、仏の本当の悟りを求めようとは思わないのです。
また、自分の悟りだけにとらわれ、人を救おうとしません。
この二乗よりも、はるかに素晴らしい境涯が菩薩界です。
菩薩界の生命を貫いているのは「慈愛の念」です。
自分よりもまず、身近な一人ひとりに幸福になってほしいと願う思いやりがあるということです。
菩薩は、そのために仏の悟りを得ようと、努力に努力を重ねていきます。
慈悲というと、私たちから遠くなる感じがしますが。
本来、慈悲は誰にでもあります。
日蓮大聖人は、
「まったく他を顧みることのない悪人もなお、自分の妻子に対しては慈愛の念を持っている。そのことは、人界に具えている菩薩界の一分である」と仰せです。
この慈愛の念を、あらゆる人に向けるのが菩薩です。実際に、そういう立派な人は私たちの周囲にもいます。
大聖人は、
「六道の凡夫の中に於て自身を軽んじ他人を重んじ悪を以て己に向け善を以て他に与えんと念う者有り」と仰せです。
六道の普通の人の中にいて、自分も他人もともに幸福になっていこう、と絶えず願うのが菩薩の心です。
さあ、いよいよ最後の仏界です。
仏界は、仏が体現した尊極の境涯です。すなわち仏とは、宇宙と生命を貫く根源の真理を悟った人のことです。
仏はその悟りを根本に、あらゆる人を救い、自分と等しい悟りを得させるために戦い続けていきます。
より具体的に言えば、その根源の法則は慈悲に満ちており、自分も他者も、その法則と一体である、との生命の真実を悟った人が仏です。
したがって、「仏」は特定の一人に限るものではありません。
もともと、仏(仏陀)とは、「覚者」の意味で、生命の真実を悟った人のことです。
その仏と同じ生命境涯が万人にもある、と説いているのが仏法です。
いずれにしても「人を救う」ことが菩薩界・仏界のキーワードです。
その境涯が幸福の拡大につながります。
【四聖】
仏道修行に、
よって境涯を高める 。